今回、大変うれしいことに、横浜市開港記念会館でイベントが開催できる運びとなりました。
横浜市開港記念会館WEBサイトより。
「ジャック」の名でも親しまれている横浜市開港記念会館は、横浜の代表的建造物であり、国の重要文化財文化財にも指定されています。
大正時代のレトロな雰囲気を残す講堂や、ステンドグラス、時計台など、見学するのも楽しいでしょう。
しかし、それだけではありません。
ここで開催する大きな意味が、もうひとつあります。
タゴールと親交の深かった岡倉天心の生誕の地に建てられているのです。
岡倉天心は、港町横浜が生んだ最初のバイリンガルとでもいいましょうか。
文明開化の明治時代、なんでも西洋のものを取り入れようとする動きの中で、日本の文化や芸術の再認識と復興に努め、数々の英文による著作で日本の美徳を海外に紹介した偉人です。
天心は、福井藩が横浜に開いた商館「石川屋」の貿易商となった父、岡倉勘右衛門の次男として、1863年横浜に生まれました。
店に出入りする外国人客を通じて、幼い頃から英語に慣れ親しんで育ち、また父・勘右衛門は「これからの世の中にはグローバルな視野が必要になる」と、子ども達に英語教育を受けさせたそうです。
そして天心は、若い頃より、海外からの優れた講師、研究者と深く交流しました。アメリカから来日した東洋美術研究家アーネスト・フェノロサの通訳兼助手として、日本の美術を調査し、その後東京美術学校(現・東京藝術大学)を設立して、日本画の推進を強くしたことでもよく知られています。
天心は38歳のとき(1902年)、アジア文化のルーツをたどる目的でインドを訪れ、宗教家ヴィヴェーカナンダと会ったのち、タゴール家に10ヶ月滞在しました。アジアの文化や思想や教育についてタゴールとも深く議論し、互いに共鳴したそうです。「アジアはひとつ」という考えをもとに、この滞在中に「The Ideals of the East(東洋の理想)」を執筆しました。
帰国後も、深い親交が続き、弟子で日本画家の横山大観や菱田春草らをシャンティニケタンでの研修に送っています。
天心は、1913年、50歳で亡くなりました。
タゴールが「ギータンジャリー」でアジア人初のノーベル賞を受賞した年です。
その後タゴールは1916年に初めて来日し、天心の墓を訪れました。
そして横浜三渓園や東京の横山大観邸に3ヶ月ほど滞在しました。その時の講演でも、天心との出会いの衝撃を「私の生涯の記念すべき出来事」と語っています。
タゴールは日本の伝統文化や、日本人の美徳に深く感動していたといいます。
そして、日本の西洋化や軍国主義を批判したため対立もあり、1929年以降来日することはありませんでした。
岡倉天心の存在なくては、タゴールの訪日もなかったかもしれません。